2018年8月18日土曜日

富山県の秘境・五色ヶ原




さて、今年のヤマトモの夏合宿です、天候不順で中止ばかりの企画になってましたが、今回は行われました。
富山県の秘境・五色ヶ原まで立山連峰を歩く山行です。

関市役所を3時半過ぎに出発して、順調にゴンドラ、高原バスと乗り継ぎ室堂へ。
降り立つと、寒い位でガスも少々立ち込めています。


準備をして室堂平方面へ石畳の道を進み、そのまま一ノ越を目指します。途中雪渓を横切りますが、雪切り作業をしてくれていて、安心して進めました。



フウフウいいながら一ノ越に到着。ここで少し休憩をします。雄山に向かう人を眺めながら我々は南峰を目指します。ここの分岐を鬼岳に。急なざれた道を下り鬼岳に上り返します。ガスが巻いてきているのでさほど暑くはないのですが、汗が噴出します。キャップの庇からポタポタと汗が落ちていきます。


一息入れて降ります、足元は岩々、ストックが邪魔なくらいです。しかし途中で雷鳥ちゃんが佇んでいてくれて、大急ぎで撮影会となります。


ここまでの行程もそうでしたが、足元には花々が待っていてくれています。下り切ったところの雪渓の上で昼食タイムです。


そして、少し上がると獅子岳です。見下ろす程に降りるようです。淡々と降りていきますが、


岩の道スリップ注意です。ここにも梯子、鎖場があります。踏ん張るために腿に違和感を覚えるほどで、こんな道明日登るの?と文句を言いながら降り立った先がザラ峠です。ここを今回の一つの目的にしてきました。



佐々成政の『さらさら越』と言われる歴史上の場所になります。
さらさら越とは…、
ザラ峠は、越中(富山)の藩主佐々成政がこの峠を冬に越えたと言われる峠です。
成政は信長の重要な家臣であったのですが、本能寺の変の後の世継問題で福井の柴田勝家ともども秀吉に反目したということになります。一時は家康を後ろ盾にして争っていたのですが、秀吉と家康が和議を結びいよいよ窮地に陥ります。その家康をもう一度再挙させる説得をしようとしたのがこの無謀な行軍となるのです。
越前(福井)は柴田勝家なのですが、その先の北陸道は秀吉側、西隣の金沢は前田氏、北隣の新潟は上杉と敵に挟まれている状態で、富山を東進するしかない。この峠を越えた長野は家康の配下、長野から浜松へ向かうしか術がなかったということで、12月の厳冬期にここを越えました。
一番近いと思われるルートが常願寺川→立山温泉→ザラ峠→中ノ谷→刈安峠→黒部川の平→針ノ木谷→針ノ木峠→籠川谷というらしく、名前を見ただけでも夏でも厳しいと思われます。
結局は家康を説得出来ず、また来たルートを戻ったようですが、無事帰りつけて翌年には秀吉の配下になっています。



ザラ峠で腰を下ろし大休止をとり、五色ヶ原への登りに入ると先行していたお嬢様が雷鳥がいると教えてくれるので、また撮影会です。


堪能した後に、ゼイゼイ言いながら上りあがっても山荘は見えません。テント場は確認出来ましたが…。目の前の丘を越えなければダメなようです。木道なので歩きやすく助かりました。越えると目の前に大地状の草原と奥に立派な山荘が見えます。木道を歩き何とか予定時間に到着です。



受付を済ませ部屋に荷物を置き足を伸ばしていると、「入浴が…」、というアナウンスがあります。お風呂に入れてもらえるようです。入浴後外テーブルに腰をかけビールで祝杯です。


飲み終える頃夕食タイムとなり、食事をとったあと布団に横になると寝落ちてたようで、雷雨があったことすら気づいてなかったです。
途中何度か起きるたびに外に出ますが、見上げるとだんだん星の数が増えてきており、ニンマリしてました。今年の話題の火星も見えてました。

4時過ぎると東の針の木あたりのシルエット越しに綺麗な朝焼けが見えます。これが実に美しい。朝食後外に出ると既に太陽が昇っていました。


早々に準備をして6時前にスタートです。この日はガスもなく展望ばっちりです。
薬師岳を確認し、笠ヶ岳、槍さまと見ながら昨日来た道を進みます。

槍 さま

笠 ちゃん

丘の上で見納めと山荘に別れを告げます。ザラ峠まで進み一息入れます。進む先には獅子岳がそびえています。十分休養をとったところで、取り付きます。進んでも進んでも坂道は終わりません。中ほどで五色ヶ原と山荘に最後の別れを告げます。

奥に薬師

獅子岳は、来た道を見下ろすことは出来ますが、山頂を見上げるとひっくり返って落ちそうな気分になる程の急登一辺倒です。何度も立ち止まり後続者に先に行ってもらって、何とか登頂します。ここからの景色も申し分ありません。笠に五郎、ちゃんと見えます。


そして下り雪渓のところで一休みをしているとガスが一瞬で立ち込めます。が、座って休憩です。大学生なのでしょう、数組がでっかいザックを背負ってきますが、ここで休憩していきます。


鬼岳への上りも同様に厳しくガラガラの道を進み何とか上りあがり、ここでやっと雄山が見られます。そして下り、再び龍王岳に登りあがります。ここの建物は、避難小屋かなと思ったのですが、富山大学の研究施設のようです。小休止後訳あって一ノ越に下山される美濃さんと別れ浄土山を目指します。降りてコル部分の分岐の先に石積みをされたところがあるのですが、止めてあります。壁の向こうを確認したかったのですが、どうやらここが浄土山山頂だったようです。


石積は、旧富山大学研究施設があったようです。分岐を折れ激下りの始まりです。大きな岩がごろごろしたルートでとても登りは堪えれそうにないです。岳沢から紀美子平のルートに匹敵するかも…、でした。


下りきり、ルートを左にとって展望地へ向かいます。着いたものの一面ガスで何も見えません。ここからはカルデラの様子が見れるようなのですが…。
分岐まで戻り室堂平を目指します。石畳の道なのですが、非常に歩き辛く嫌になりました。室堂山の北ア展望地を過ぎ少し下がったところに、雷鳥親子が遊んでます。早速撮影会です。堪能したので歩きますが、なかなか室堂平に到着しません。







それでも何とか歩き通し、室堂平で休憩してる美濃さんに合流して室堂へ向かいます。1時近くになってますので、ここで昼食です。富山と言えばブラックラーメンでしょ、ってことで、それでおなかを満たしバスに乗り込みトロッコ列車には30分ほど待ちましたが、乗り込み立山駅に到着し、温泉で汗を流し帰岐します。

完全に甘く見てました、立山連峰。下りの踏ん張りはきつい上り返しもきついというルートで、誰一人最後の五色ヶ原の景色に「さよなら、また来るね!」とは言わなかったことを書き添えて終わりたいと思います。

出会った花たち

稚児車の晩生?

トウヤクリンドウ

イワリンドウ

タテヤマリンドウ
ウサギギク

ハクサンフウロ

トリカブト

ダイモンジソウ

イワアカバナ

ミヤマキンバイ

チングルマ 綿毛
知ってます?稚児車は草でなくて木なんです

これ以外にも撮ってない花がありました。ヨツバシオガマとかミヤマアキノキリンソウとか、花も多い山でした。