2017年9月25日月曜日

銚子ヶ峰

今年は白山開山1300年だそうです、そんな時大阪からもっちゃんを迎えて美濃禅定道の一部、大杉から銚子が峰に上りました。
5時半過ぎに美濃病院を出発して大杉林道(中居神社‐朝日線)を走ります。落石のおおい林道なので、台風の影響を心配してましたが、問題ありませんでした。

ここからあがります!

7時過ぎに到着して準備をして登山届を提出後クライムオンです。
まずは420段の階段を登りあがり、大杉とご対面です。私は3年ぶり位ですが、変らぬ姿に一安心です。この大杉白山を開山した泰澄大師の杖が根付いて大杉になったとの伝承がありますが、開山1300年で、樹齢1800年。空白の500年は何?って感じです。

いつも立派な大杉 パワースポットです

ここから尾根にあがりきつい登りになります。ブナが多く時期が時期ならば紅葉のトンネルの下を歩けるのですが、半月ほど早いので木々はまだ青い葉を付けています。
1キロ、2キロの標柱を見ながら歩き1時間程でおたけり坂に到着です。少しここで休憩をして坂に取り付きます。このルート一番の急登と言っても過言ではない部分です。


それでも難なく登り、途中のあまやどりの岩屋で一呼吸入れて最後まで。この岩屋泰澄大師が白山に向かったので、母親が心配して着いてきてここまで来た時に血と槍の雨が降ったためここの岩屋にもぐり込みやり過ごしたと謂われています。なぜならこの山というか白山自体が女人禁制だったため、神の逆鱗に触れたためだそうです。

もぐる隙間もないよ

ここを登り上がると斜度がゆったりして歩きやすくなってきます。脇にはリンドウが見られますが陽が差さないためつぼみのままです。3キロ標柱を過ぎるとアカモノの群生地なのですが、時期が時期花はありません。赤い実を付けたものが少し見られます。


ナナカマドが見られるとすぐに神鳩宮避難小屋です。ここでは腰を下ろして一休みします。


綺麗な小屋

この神鳩宮、美濃禅定道である長滝神社からのルートと石徹白からのルートの合流点で宿坊があり、そのため山中にこれだけの広さのある平地があると思われます。実際長滝神社の裏には平地が今でもいくつもありますし、立花の白山神社の裏山にも平地があります。いずれも宿坊跡でしょう。

ここから少し上がり尾根筋に到着するとここからは笹原となり展望が効くようになります。そのまま進むと前方に別山が見られますが、山頂にガスがかかっています(残念!)。

山頂だけガスが…

そしてまた急登を進むと母御石に到着です。ここは泰澄大師の母親がここで息絶えたのでここに埋葬したというように謂われています。三人ともそのテッペンに立ちましたが、つまりは墓石の上に立ったということになります。

母御石

そこから引き続き登ると前峰に到着です。ここからは笹の中の緩やかな道。別山を見ると山頂のガスはほぼ取れてきています。もう少しで取れるだろうと思い山頂へ向かいます。


山頂に着くも、誰一人いません。駐車場があれほど一杯だったのに、車の持ち主は何処?
3時間少々で到着。少し時間がかかっていますが、私が先頭歩いたからだな、と一人納得してました。そして別山はガスが取れ、堂々とした山容を見せてくれています。雪があったら美しいんだけど、それは来春まで待たないとダメですね。

ガスがとれたよ、ともっちゃん

車の持ち主は皆、避難小屋で会った人同様三ノ峰まで縦走しているんでしょう。昨日登って避難小屋泊ってとこでしょう。
別山までの縦走路、野伏ヶ岳までの稜線等の展望を楽しんで、昼食とします。途中で登ってこられた大垣の方といろいろ話をしながら昼食をとり、もっちゃんにレモネードを作ってもらってまったり過ごします。

山頂は電波あり、ハライドを検索中

途中で一ノ峰から戻られた方はそこでオコジョを見たとカメラの画像を見せてくれます。そうこうしていると、お姉さま方の団体が来られたので我々は下山に入ります。

美しい笹原

ここからはくだり一辺倒、40分程で非難小屋に到着して、腰を下ろします。一息入れてまた降ります。おたけり坂を下りる時に少し手間がかかりましたが、順調に降りて山頂から2時間半ほどで無事下山を済まします。
満点の湯で汗を流し美濃病院へ戻り散会です。
美濃さん、もっちゃん お疲れ様でした。

2017年9月5日火曜日

茅ヶ岳 金ヶ岳

深田久弥終焉の地、茅ヶ岳をメインに、ついでに隣まで縦走するという企画です。
4時半過ぎ関を出発して韮崎まで。7時過ぎに深田久弥記念公園の駐車場に着くもほぼ満車状態。人気の程が伺えます。

先着者で満車

準備をして7時半に出発です。舗装林道を歩きすぐに地道の林道へ入ります。石ゴロゴロの道、林道としては廃道なんでしょうが、登山者が歩くために草は生えていません。

地道の廃林道

しばらく歩くと舗装林道へ出て渡ってまた地道の林道です。いつしか林道はなくなり登山道になっています。

女岩分岐

女岩立ち入り禁止の案内のある突き当たり地点より岩だらけの本格登山道となりきつい斜面を九十九折に尾根を目指します。

急斜面の九十九折道

道は腐葉土でふかふかで、保水力があるのか、絞湿って滑ります。登り上がり左に折れ痩せた尾根道を行きます。

やっと尾根に

すると5分程で終焉の地へ出ます。深田さんが友人と登っている際にここで休憩をしていて歓談中に脳溢血で倒れたとか。

終焉の地

ここで手を合わせ般若心経を唱えます。が、途中までしか自信がないので途中までとして、略三宝をお唱えしてその場を後にしました。そこから十分も歩くと山頂に到着です。歩き始めて2時間半ほどで到着しました。

頂上を目指します

到着!

大勢の人が休んでられます。展望は西に甲斐駒をはじめとする南アルプスの面々、南には富士山。

頭を雲の上に出した富士

雲の上に甲斐駒 おいでって誘われました!

東に金峰山、瑞牆山は見れるのですが、八ヶ岳の面々はわからず。写真を撮り腰を下ろして休憩とします。休憩後隣の金ヶ岳に向かいます。ほとんどの人がここまでで戻られるようでした。

金ヶ岳に向います

山頂直下はきつい下りとなります。土は滑るし段差が激しい、おまけに石ころがあります。幸いなのは、樹林帯であるが故木々に掴っており下れることです。戻りに登り返すのが正直嫌だなって思えるような道でした。コルへおり前峰へ登りあがります。

ブラタモリよろしく、地層の解説

こうやって見ると微妙なバランスで挟まれているだけ

巻き道ならいいのに、正直に稜線のTOPをトレースしてるルートでした。頂上へ立ち振り返ると茅ヶ岳越しに富士山が。どんどんどんどん霞んできているようでした。そしてまたコルへ下り山頂へ登りあがります。

本日2座目に到着

途中に観音峠からのルートの分岐があり、ここが南峰ということで、山頂は北峰となるようです。茅ヶ岳から1時間少々金ヶ岳山頂に到着しました。お昼前ですので、ここの木陰で昼食とします。甲斐駒の山頂は雲に隠れてしまいました。富士だけはまだ見られます。先ほどまでいた茅ヶ岳は、ここよりずいぶん低く見えます。が、標高差56mなので、これほど感じるものかと不思議に思います。

茅ヶ岳越しに富士山

茅ヶ岳まで戻るのに1時間そこから駐車地点まで2時間はかかるので、それならこのまま進み明野に下り林道を歩いて駐車地点に向かった方が早いだろうと相談がまとまり、12時下山に入ります。明野へ尾根伝いに下りますが、

ヤセ尾根をひたすら下りるだけ

このルートヤセ尾根で岩場が多く大変なルートでした。救われたのが下り一辺倒だったことで、登り返しはありません。時々富士の姿を眺めながら1時間15分程で林道へ降り立ちました。

やっと激下りから開放された

一休みして、舗装林道を歩きます。これが地味にきついんですよね、登山靴だと余計に足が痛みます。三人が三人とも地図とナビを片手に林道分岐を間違えないように歩きます。しかし地道の林道がいくつも合流してきており、綺麗だったら間違えますね。これも師匠の地図のおかげです。途中で休憩をしてコーナーへ着くたびにここを曲がったら朝のルートと合流するかなと期待しながら何度も裏切られました。山頂近くで偽ピークに何度もがっかりするのと似てますね。

この舗装林道歩きが 強烈にきつかった

それでも、朝のルートに合流出来、下りていきます。途中で見覚えのある廃屋を見たときは、正直ホットしました。そして、下山です。深田記念公園に帰りに寄ろうと話をしてたのですが、一見してスルー、そのまま車へ到着です。長かった~。登山靴を脱いだ瞬間、足が喜んでるのがわかります。
そして、ハイジ村のクララの湯で汗を流し、ワイン風呂に浸かって筋肉をほぐし、一路岐阜へ。関に7時半過ぎに到着して無事山行終了です。
タマさんお疲れさまでした、師匠長距離運転ありがとうございました。
とってもいい山ですが、山梨は遠いなぁ~。


深田久弥とは。
小説家であり登山家。一般的にはさほどなじみのない作家であるが、山家には『日本百名山』を著したことで、知らない人はいないと思われる。読み、歩き、書いた と自身が言うような人生で、山に生きて山で没したことは、天命であり喜びであったのではないだろうか。
今後も彼が遺した「百の頂に、百の喜びあり」を思いながら、山に向き合っていきたいと思った次第です。