2019年2月19日火曜日

ヤマトモ 中山道を歩く!


2月17日、師匠お奨めのカントリーウォークとして十三峠歩きと最近行ってる城址巡りをセット企画として、快晴の下行われました。

十三峠とは、大井宿(恵那市)から次の大湫(おおくて)宿(瑞浪市)までは、3里半(14km)、その間に、何と!十三峠と言われるアップ・ダウンの山の中である。13とは名ばかりで実際は20以上もある中山道一の難所だったようです。旧中山道が当時のまま残っていて、史跡が点在する道となります。
このうち大湫から歩き始め、途中の権現山に登り刈安城址を探索する計画です。





宋昌寺脇より8時過ぎ大湫入り口を登り始めます。その昔は人馬、牛車が通ったであろう道で、道幅も軽自動車なら問題なく通れる程広く、驚きます。しかし、中山道といえば武家の時代、江戸と上方を結ぶ主要道で今で言う一級国道ですので、当然といえば当然でしょう。参勤交代の大行列が歩き、この宿あたりは皇女和宮が将軍家に嫁ぐ際に利用された道でもあり、この規模は納得できます。
入るとすぐちょっとした傾斜となります、風が冷たく冷え込みます。まずは童子ヶ根に到着です。


通り過ぎますが、すぐに山神坂となります。そこから一旦下り登った先が八丁(シャレコ)坂です。ここには観音碑があり、南無観世音菩薩とあります。展望地だったのでしょう、



『向うに遠く見ゆる山はかの横長岳(恵那山)なり』と書かれています。しかし、ここからその姿は望めませんでした。ここからまた下りていき、車道を横切り登りあがります。少しで尻冷やしの地蔵に着きます。


当時の旅人にとって、水は必要不可欠な物です。この地蔵様の後ろから清水が湧き出していて、旅人の喉を潤していたようです。後ろから湧き出しているため地蔵様の尻を冷やすからこう呼ばれるようになったそうです。
通り過ぎ檜の樹林帯の間を進んでいくと、ぽっかり開けたところに出ました。三十三観音が納められている石窟があります。

石積みの立派な石窟

茶屋の跡地、団子ないかな…?

観音様は全て馬頭観音。大湫宿はもとより、各地の飛脚屋が出資して作られているようです。脇には阿波屋の茶屋跡の碑があります。大井宿から厳しい峠道を通ってきた旅人は、ここで一休みをして、空腹を満たしていったのだと思われます。ここを過ぎると曽根松坂、ぴあいと坂と続きます。


このあたりから、道は中仙道カントリー倶楽部の中を通る形となります。後世の娯楽の造形物に歴史が埋もれなかったことに感謝です。


順礼水に到着です。僅かな清水なのですが、8月1日に枯れることはないと謂われているようです。つまり、真夏でも枯れないということだと想像しますが、このあたりの山の保水力に感心せざるを得ません。そして、順礼水の坂を通り過ぎ、樫ノ木坂に到着です。




ベンチもありここで一休みです。ここは権現山一里塚というようで、道の両脇にこんもりとした塚(小山)が存在します。ティータイムの後石畳の道を進みます。

綺麗な石畳

下りきると開けた場所に出て住宅の間を通ります。この住宅脇には水屋があり鯉が泳いでいます。本当に水の豊富な山です。

のどかな里を歩きます

炭焼立場跡の看板の傍に刈安神社参道口があります。




ここから登りあがること30分で権現山山頂のようです。さて、コケコッコーと雄鶏にエールを送られながら登りあがります。道は竪堀のような道となっていて、直登のようです。


所々に石仏やら、立派な石垣があり歴史を感じます。ちょっと息が切れてきたところで、刈安神社境内に出ます。


ここの主祭神は西尾式部道永だそうです。ここにあったとされる刈安城の城主で戦に破れ自刃したのを里人が彼を祀り刈安権現としたそうです。本殿の後ろには巨岩があり(烏帽子岩)そこを巻いて裏手にあがり城址を見ます。


烏帽子岩の裏には明確な堀切があります。草を踏み分け主郭へ上がります。先の眼下には何段もの曲輪が確認出来ました。




今は檜林ですので展望はないですが、木々がなければ四方の町並みが見えると思われます。城としては上位の部類に入るのかもしれません。

神社へ戻りここで昼食をとり下山します。まだまだ中山道は続くのですが、我々は戻ります。


車に戻り大湫宿を覗きます。大湫公民館が資料館なのですが日曜は休みということで、その前にある旧森川訓行家住宅が観光案内所となっており、ここで説明を受けます。




建物は江戸時代末期の建築と推察され、江戸の町屋形式をそのまま有し、当時の旅籠・商家の雰囲気をよく残しています。昭和20年代まで住居として使用され、一部は現代様に改修されているものの、建物は建具類を含めてよく保存されているそうです。
平成18年には国登録有形文化財に登録されました。平成26年に所有者から寄贈を受けたことから、大湫宿の観光の拠点となる施設へ整備することになりました。ということで観光案内所として現在に至っている模様です。確かに見上げると梁が立派で見事に手斧かけ(ちょうながけ)されていました。この梁を見ればその住宅の格がわかりますね。

ここが観光案内所

外に出ると駐車場の上が小学校跡地のようで、上がってみます。この跡地もともとは本陣跡だそうで、和宮がこの本陣で泊まったところのようです。句碑もありました。


遠ざかる 都と知れば旅衣 一夜の宿もたちうかりけり
思いきや 雲井の袂ぬぎかえて うき旅衣袖しぼるとは
と彫られています。歌心がないので完全に理解できませんが、何となくわかるような気がします。

三姫の陶像


ここから琵琶峠に向かいます。



ここは江戸当時のまま現存する最大級の石畳の道となっています。
石畳というより階段と言ってもいいくらいの道ですが、ここにもいく種かの石仏が点在しています。昭和45年に今の形で掘り出され県の史跡とされています。

階段だよね?

この峠名の由来については、琵琶を伏せた形に似ているからという説や、信州の琵琶法師が京に修業に向かったが、修業の甲斐なく失意を胸に信州目指して帰路についた。法師は琵琶峠の頂上で松の根元に腰を下ろすといつのまにか眠ってしまい、夢の中で素晴らしい琵琶の音を耳にした。それは峠に吹いた風が木の梢を鳴らす音であった。これにより法師は琵琶の奥義を悟ることができ、宿場の人々にこの話を語って琵琶を奏でた。そのため、いつしかこの峠を琵琶峠と呼ぶようになった、との説話も伝えられているようです。

峠には馬頭観音があるね

文学碑

展望のない展望地へ向います

琵琶峠を通る中山道(約1km)には、石仏、矢穴(石を割る際の道具跡)が残る岩、また岐阜県の史跡に指定されている八瀬沢一里塚がみられるなど、岐阜県下の中山道の中でも往時の面影をよく残しているといわれます。また、昭和45年には石畳が良好な状態で発見されるなどし、約700mの範囲が岐阜県の史跡に指定されています。

ここにも一里塚が、権現坂一里塚より1里分数字が変わってました

まんまるに盛られてるよ

反対側までピストンをして満足できたので、今日はここまでとしてかせきに戻り散会としました。

県道をまたいで石畳は続きます
実に歴史の雰囲気がただよういいウォーキングでした。

権現山山頂にて!


参加者:美濃さん、タマさん、ゆっきーさん、定

2019年2月4日月曜日

入笠山

長野県諏訪郡富士見町にある入笠山へ。
南アルプス最北端に位置する山になります。
5時関市役所を出発して、富士見パノラマリゾートというスキー場に到着。準備してゴンドラ乗り場へ向かいます。
長い空中散歩(高低差730m、15分程度)を終え降りた先がトレッキングコース入り口です。早速八ヶ岳を正面に見ながらスノーシューを履きコースへ。


南八ケ岳方面

登ってすぐのところで北アが綺麗に望め、それに向けシャッターを切り、歩き始めます。

北ア 後立山方面

林道を横断して入笠湿原に突入です。ここは春にはすずらんの群生地となるようです。

樹林帯を抜けると

入笠湿原です

夏の木道があるのでそれに沿って歩きますが、湿原に入ると全てがフィールドと化し、思い思いに好きな所でパフパフの雪質を楽しみ
どこを歩こうかな???

山彦荘前に出ます。一息入れて再び樹林帯の中の散策道へ。斜度もさほどなく歩きやすい道です。道を上がるとマナスル山荘前です。
春以降はお花畑となるフィールドです

木々の間から南アが望めます。ここから山頂を目指し再び樹林帯へ入り込みます。ルートは斜度のある直登ルートとなりますので、ここでリフターを立ち上げます。左手に八ヶ岳が全て見えるのですが、手前のピークの電波塔が邪魔です、右手樹間からは、北アの白い峰々が。山頂での展望が約束されたようで、心は前に向いてますが、身体が持ち上がりません…(笑)。

気持ちのいい道

岩場コース、迂回路の分岐では迂回路をとり15分ほど、目の前の稜線が確認出来るようになると、樹林がなくなりひょっこり山頂に到着しました。先ほど見た北アはもちろん、正面に中アの峰々が。南方向を眺めると甲斐駒がかっこいい姿でそびえています。その左手にはうっすら富士の姿も。もちろん千丈、北岳も見えます。八ヶ岳も全てくっきり見えています。360度の絶景です。後から登ってこられた方々も全員が全員、その絶景に感嘆の言葉を発しられています。

北ア

甲斐駒が存在感もって見られます

その横にぼんやり富士山

山頂標示と中ア

蓼科から八ケ岳全部


ザックをおろし、眺め写真タイムです。山頂は雪がほとんどない、風が強いのでしょう。それまで全く風を感じなかったのですが、山頂は風があたり寒いです。
ここでスノーシューを外しアイゼンに交換します。

集合写真を撮り、岩場コースから降ります。段差があるので岩があるのはわかりますが、樹林帯の中ですので雪があり下りはさほどでもない印象です。問題なくマナスル山荘へ下りつき、山荘のベンチで昼食とします。庭ではあじという名の山荘のアイドル犬が出迎えてくれました。

山荘のアイドル あじ

ベンチに腰を下ろしマッタリとした時を過します。
マナスル山荘

かわいらしい阿吽かな、両サイドにありました

まだまだ登ってこられる方も大勢見られます。我々は林道を山彦荘へ向かいますが、すれ違う方の半数以上が犬連れです。あちこちに、リードを離さないで、という看板があった理由がわかります。湿原を超え林道を横切り朝の樹林帯のルートを戻ります。

満足して下山です

山頂からの途中で気付いていましたが、北ア方面は黒い雲に覆われてしまっています。朝の展望地からもそれがわかりました。無事ゴンドラ駅に降り立ちアイゼンを外しゴンドラで下山します。
立ち寄り湯で汗を流し、駒ケ岳SAで一休みして次の計画を話し合ってる間にパラパラとしてきました。高速を岐阜へ進むにつれ、本格的な雨となってきて、午前中勝負の山行が正解だったことを皆感じ取りながら関市役所にて散会となりました。

やっぱり山は天気次第ですね、本当に気持ちのいい山行でした。

雪がない山頂ですが、絶景に満足です

2月3日歩く。
美濃さん、タマさん、澤木さん、定の4名です。