2017年11月30日木曜日

城址巡り 第一弾

城址めぐりシリーズとして関ヶ原に点在する古戦場を巡ってきました。


まずは松尾山城ということで、松尾山に上ります。




駐車場から40分程で山頂の城郭跡につきます。

途中で伊吹山が見えます。

山頂は北方面の眺望が抜群で、山に囲まれた盆地状の平地が一望出来、戦の様子が手に取るようにわかったと思われます。ここに陣を構えたのが裏切り者の汚名を着せられている小早川秀秋(備前岡山城主)、しかし、西軍として布陣したものの、東軍に寝返る事が事前に密約されていたようです。それが証拠に、徳川の配下の武将が陣に配備されていたそうな…。彼は秀吉の正室ねねの甥にあたり、秀吉の養子となり紆余曲折を経て小早川家の養子となっています。


ここでモーニングコーヒーとし、そのあと師匠にもらった縄張り図を元に曲輪巡りをします。曲輪と思しきものは見られました。土塁や天然の堅堀は見られますが、作為的なものは自然に還ったのかわかりませんでした。


曲輪を探します

下山後そのまま歩き脇坂安治(洲本城主)の陣跡の見学です。聞きなれない名ですが、賎ヶ岳七本槍の一人として名を挙げた武将だそうです。


この人物も小早川の寝返りを見て同調して寝返った人物となります。松尾山の麓の小高い丘のようなところにありました。立ち入り禁止という看板から強行突破しましたが、本来は逆からが王道のようです。

ひっそりとたたずむ石碑
松尾山の麓に布陣したのは、大谷吉継が小早川の裏切りを疑っていたためにその押さえとして置かれたということらしいのですが、小早川の裏切りを見て大谷隊に突入しています。


その後家康最終陣地跡です。意外に多くの人が見学をされていました。家康は最初桃配山に陣を構えてたのですが、状況がよくないのでここまで押し出してきたようです。場所としては笹尾山(三成の陣)から1キロほどの所で、合戦が終了するとここで首実検をしたりしているようです。隣には資料館のような施設がありました。





そしてのろし場。合戦の合図などをするための場で、今なら電話で済みますが、当時はこれで合図を送っていたようです。黒田長政の陣の脇なので、東軍のものだったと思われます。とは言え当日は朝霧でよく見えなかったと言われていますので、使われたかどうかはわからないですね。西側に関ヶ原が一望できます。

気持ちのいい竹林

そして笹尾山へ向かいます。松尾山の真北に位置していて、ここの幟も松尾山から確認出来ていました。駐車場には甲冑姿のボランティアの人がおり、写真を撮らせてもらったりした後、正面の階段を上りあがっていきます。5分で頂上へ着き、そこの展望台からは、関ヶ原の様子が一望出来ます。後ろには伊吹山がそびえており、前面からしか攻められないいい場所と言えます。

本格的な柵があります

ここで昼食をとります。

女性武将を口説くおっちゃん ひげ面がいかにも

ちょっとゆっくりしてたのですが、風が吹き始め寒くなってきたので、早々に下山して最終決戦地の跡地へ向かいます。



歩いて5分ほどの所で、田の真ん中にあります。ここにもボランティアの甲冑姿の人がおられ、少し話をします。冬はまだ寒さをしのげるらしいですが、夏は気温もさることながら、全身黒づくめですので、たまらないようです。
後ろの幟は石田の旗印、家紋ではないようです。
大一大万大吉が組み合わされています、「天下のもとで一人が万民のために、万民が一人のために・・・という世の中になればすべての人が吉(幸福)となり、太平の世が訪れる」という意味だそうですが、彼が生み出した言葉ではなく、古くは木曽義仲を射落した石田為久という武将が使用していたようです。


ボランティアのお兄ちゃんと

この日は我々にはそこそこ人出があるように感じられましたが、映画の影響で一日で数万人来場者があったこともあったようです。しかし、跡碑を見て回るだけで入場料が必要なわけでもなく、経済的な恩恵はあまりないと思われます。
この後は島津義弘陣を見学に歩きます。どこへ行っても石碑があるだけですが、位置関係を見るだけで楽しいですね。


ここにて予定は完了となったのですが、順序が逆になるものの最終決戦地を見たので開戦の地を見ておこうと少しだけ歩きます。島津のところより10分ほどのところにありました。

ただここは伐採工事中とのことで、遠くから眺めるだけです。この裏にキリシタン大名小西行長の陣があるようなのですが、入れず田の畦を歩いて一人確認してきました。開戦場所より50mも入ったところに碑がありましたが、立ち入り禁止地にあるので幟とかはありませんでした。


これにて終了として、駐車場まで戻ります。

松尾山にも、笹尾山にも合戦の俯瞰図がありますが、それを見ると西軍は鶴翼の陣をしいています。見てわかるように、西軍は東山道(京都、滋賀方面)、北国街道(北陸)へ通じる道を押さえています。つまり援軍がこないように、逃げ出さないようにしているということです。伊勢街道だけは直接押さえられてないですが、西軍の毛利、長曽我部が近くに居ます。大垣城から東軍は着ていますので、そちらしか逃げ場がありません。それに当日の朝は霧でまったく見えなかったようなので、事前の軍議で三成はこの配置を決め通達していたと考えられます。合戦数日前には陣に入っていたのでしょう。一方の徳川はそんな中入ってきていますので、空いたところに固まった状態で配置についたといえます。

青が西軍、赤東軍、紫が寝返り組つまりは青組
ですから、後世にこの図を見た戦争のスペシャリストは、一見して西軍が勝ったと言ったそうです。がしかし、鶴翼の片方の小早川、吉川が家康に通じていたために、片翼で挑んだということで西軍は負けました。小早川は直接大谷軍をつつきそれに同調したのが脇坂安治ら4家、先陣をきる手はずの吉川は毛利が南宮山から下りれないようにしています(全く動かなかった)。「宰相殿の空弁当」という逸話がそれを物語っています。


時間も早いので帰り道にある竹中半衛の屋敷跡の見学です。門の上に上りあがり下界を望みます。
下界を見下ろします、ここは学校の門となっています

この裏の菩提山は前回中止になっているので、来月行くことにして、ゆっきーさんとはここで別れ我々は県庁へ向かいます。
お茶しながら帰り県庁にて本日の会は終了です。
美濃さん、タマさん、ゆっきーさんお疲れ様でした。

今後もまだまだこの城址巡りは続きます、皆さんも参加してくださいな。

2017年11月17日金曜日

日本コバ(941m)


大阪からもっちゃんを迎え師匠と3名にて日本コバへ上りました。
このところ2週連続の週末台風やら雨やらで山に足を踏み入れてなく、久しぶりのヤマトモ倶楽部の山行になります。
八日市駅でもっちゃんと合流後永源寺ダムを眺めながら登山口へ向かいますが、案内板がわかり辛く(車中からは見えないですね)、

如来堂(藤川谷)コースへ入ります

うろうろしながら探し、9時過ぎになんとか登山口から山に入ります。登山道の橋が壊れていて(帰りにわかったことですが)、違う尾根に取り付いてみたりと、最初に時間がかかってしまいました。それでも何とか登山道に乗り歩き始めます。道は里山然とした道でいい感じです。いきなり渡渉が出現し渡りきり隣の尾根を進みます。
最初の渡渉地点

潅木の里山的ルートです

登山口もそうでしたが、カエデの類が鮮やかに色づいてきていて秋です。

チラリと…


そこからも渡渉地点は幾度となく表れ、何とか渡り高度を上げていきます。1時間半ほど経過した平地で一休みです。
再びひたすら上りあがります、その間ずっと沢音が癒してくれますが、暑くなってきつくなってきます。高度があがり展望が開けたところから、鈴鹿の山並みが見られ手前の山々の錦秋が目を癒してくれます。

大きな滝の脇まであがり、その先には岩場があります。ロープが置かれてあるので、危険ではないですが垂直に近い斜度があります。ロープを手に足場を確認して三点支持であがります。

気をつけてね

斜度のある登り

もっちゃんなんて、鼻歌を歌いながら一番に上りあがって余裕です。そこを過ぎると、岩の日本庭園のような平地を通りまた尾根筋を歩きますが、斜度はないものの長い。

庭園のような平地

ところどころに散見される紅葉を撮っていると遅れてしまいましたが、道は明瞭で迷う心配はありません。

紅葉もまずまず

ここまでくると風のうなる音がしてきます。そして山頂に到着です。
12時過ぎましたので、まずは腹ごしらえ。ラーメンを食べおにぎりを食べるところで、もっちゃんが自家製の味噌をご馳走してくれました。塩加減もいい感じのおいしい味噌でした。炊きたてのご飯だったらもっと美味しいだろうなとニタニタしてると、もっちゃんから野点のお茶をいただきました。抹茶茶碗を山頂まで担ぎ上げてくれて、ありがとうございました。下種な人なのでただ美味しくいただいただけでした、すいません。

野点

そして1時前に下山に入ります。本来は周回コースの予定でしたが、時間がかかるということで往路をピストンとして下ります。下山はほぼ上り返しもなく淡々と時間もかからず降りていけます。そして、先ほどの岩場の上にある岩屋を見学します。もっちゃんだけ入り地中探検?ですが、そこそこ広くビバークには十分だと思われます。
もっちゃんが奇人の窟へ入ります
ひたすら下り、
ロープにぶら下がるように

2時間少しで登山口へ降り立ちました。そして永源寺まで下がり、八風の湯で汗を流して解散とし、岐阜には7時に帰りました。
美濃さん楽しい山をありがとうございました。もっちゃん、いろいろご馳走さまでした。
そして、また山で会いましょう!

平地の庭園あたり

滝を上部から眺める

春日神社 祠がありません!