2019年1月14日月曜日

高澤古道で本城山まで

平成最後の年の最初の企画です。
昨年から行われている山城探訪30年Vr1です。

探訪のついでに山歩きも加えてという欲張り企画です。
美濃市樋ヶ洞の見坂峠から高澤古道を歩きます。

門扉を開けて入ります。

入り口を入り、宗祇の句碑を眺めながら高澤観音まで2キロスタートです。

「関越えてここも藤しろ御坂かな」
と彫られているそうです

尾根に登り上がるまでは、そこそこの傾斜道となってますが、古道は広く落ち葉の絨毯道で歩きやすい。その昔は、ここを馬で歩いたそうです。

木漏れ日を浴びながら

30分もしないうちに、本城山への分岐になりますが、そこは帰りに寄ることにしてすぐのところの展望地で東を眺めます。そこそこの展望で御嶽山、白山が綺麗に見えます。

僕の大好きな尾根道

そのまま気持ちのいい尾根道を歩き次に南側の展望地で一休みして、高澤山の案内に従って高澤山の尾根に登り上がります。(昔はなかった…)
そして、展望岩へ。ここからも白山、御嶽山と眺め山頂へ。

白山

御嶽山

そこから古道へ降り龍神池を眺め日龍峯寺本堂へ。

降りた先が龍神池

その前にみたらしの霊水を口に含みます。ボケ封じの霊水です。目にもいいようです。老眼が強烈に進行して物忘れがひどくなった私にはピッタリです。

みたらしの霊水

脇に宝篋印塔

この寺は通称高澤観音として親しまれています。本堂には千手観音があり、それがご本尊ということなのでそう呼ばれているのでしょう。何せ岐阜県で最古の寺、いろいろな話が残ってます。

清水造の本堂 一見の価値あり

その前に、昨年末のゆく年くる年の冒頭の鐘はここの鐘でした。
まず位山にもある両面宿儺の伝承があります。先ほどの龍神池に龍が住んでいて悪さをしていた。それを聞いた宿儺が経を唱え追い出して平穏になった。その後行基が伽藍を創建し千手観音の像を安置し、それが日龍峯寺の楚なのかもしれません。
そして、もう一つが北条政子。彼女が鎌倉幕府の尼将軍として活躍し始めたころ、関東は干ばつのような状態になっており困っていました。そこで経文を念じて西の地の池に納めよとのお告げを受け日龍峯寺の池に奉じたところ、かの地に雨が降り干ばつから脱した。その礼に日龍峯寺の本堂、多重塔などを寄進(建立)させた。ただ本堂は応仁の乱の際の戦火で焼けてしまい現在のものは江戸時代に再建されたのだとか。ただ多重塔だけは当時のまま800年ほどここに建ち国の重要文化財に認定されている。岐阜自慢のお宝です、が、知る人ぞ知るといった程度でしたが、今回の放送で全国区の寺となったことになりますね。
奉仕会の方のブログを見ると、放送を見て知ったという方が続々と訪れているとか…。

国重文 多重塔


この日もそれらしい観光目的の人が境内を散策されてました。

鐘楼

さて境内の散策を終え多重塔裏の山の尾根に取り付き、TOPにある東屋でティータームとします。少しだけエネルギー補給をして古道を戻ります。
風が出てきたのか、風音がするようになってきてます。

展望地まで戻ります。朝より御嶽山が綺麗に見えます、太陽光の射す方向の問題かもしれません、中央アルプスも見えて宝剣から駒ヶ岳までしっかり見えます。
分岐を上がりまずは小仏にあがり大仏を目指します。

大仏 ここには神野城があったようです

師匠が土留めの杭でスネをうたれましたが、そのままピークに上がり反射板を眺めます。ここからコルまで真直ぐな急登を降りて見上げると遠くに山頂が見えます。このあたりは倒木が多くて歩きにくくなっています。コルから進むと土塁があり上り上がります。その先には明瞭な堀切が出現します。山頂下まで3本あります。実に遺構が残されています。進むと分岐が。正面急登、左楽々道。私だけ急登へあがり皆は楽々へ進みます。

明瞭な堀切

最初の坂を上がるとあと6段のプレートが。そう、曲輪跡が6つあるようです。



小さな曲輪を上り上がり最後の曲輪へ立ちます。皆はまだ下のほうです。なので、井戸跡と石垣跡を確認してきます。

正面が井戸跡

ここはずいぶん朽ちてます

見てから南側の展望を確認していると皆が上がってこられたので合流して最後の坂を上がり山頂へ。南側が開け、尾張から攻めてくる信長の様子が手に取るようにわかります。
ここで昼食とします。

関南アルプスの山並みと左に名古屋ビル群

少し西へ行き伊吹山を眺めたりしながら足を休めます。
山頂には2日前に設置された小野城の説明文があります。実はこの城はほとんど記録が残ってなくて詳細不明なんです。でも、最近何某かの古文書が見つかったらしく、また書き加えられるかもしれません。

説明書き

天気は穏やかで暖かく昼寝が出来そうです。各務原の方と話をしながらゆっくり過し、突然咲いた?馬酔木を眺めて帰路につきます。

馬酔木

淡々と急登を歩くだけです

大仏への下り地でちょっとしたアクシデントがありましたが、無事古道へ降り立ち見坂峠まで戻り、道の駅でコーヒーを飲みながら次の山行の打ち合わせをして、散会としました。

1月13日。
美濃師匠、タマ会長、ゆっきーさん、定の4名山行です。
往復11キロ、18,000歩の山行でした。

7 件のコメント:

美濃 さんのコメント...

定さん 企画担当ご苦労さんでした。
本城山の城郭跡をじっくり探索したのは初めてでこんな山登りもいいですね。
アクシデントのWは鬼門場所ですね。
杭にくワバラクワバラです。

タマ さんのコメント...

定さん ご苦労様。
往復11キロですか。わりとあったんですね。
高沢観音で すりすり したせいか、今回は膝の銚子がいいぞ��

taki さんのコメント...

美濃さん おはようございます。

本城山、遺構が残っていて楽しいですね。
植林されただけで、手が入ってないおかげです。しかし、縄張り図としては大きな城となります。
美濃守護土岐氏の流れの斎藤氏が治めてたようですが、典型的な山城でした。
でも、その辺りを少し掘ったら人骨出てくるような気がします。
今回歩いたルートは、私のお気に入りのトレーニングルートでした。

taki さんのコメント...

タマさん 膝の調子がいいとは良かったですね。
私は膝痛が出るようになってきてて、老化を感じています。

このルートは、ちょっと時間が出来た時に歩くにもってこいだと思います。
高澤観音に車を停めて、本城山まで行って、藤谷の白山神社に下山して高澤観音に戻るってルートもいいかもしれません。

Unknown さんのコメント...

定さん、ありがとうございました。

今回は、お寺と山と城跡と景色とで盛りだくさんでしたね。

新年早々肩の痛みで出遅れそうなので、ここから何とか盛り返したいですね。

ゆっきー さんのコメント...

↑名前入力がされていませんでした。
コメ主ゆっきーです。

taki さんのコメント...

ゆっきーさん、寺はゆく年くる年だからいいでしょ。平成最後だから平成地区からってことね。
展望は望んでた以上でした。なかなかここまではないと思います。

そして、城址はマンマです。
人の手が入り辛い里山とは言え山頂なんでね。遺構も次の世代でも確認出来るんじゃないかな?
隣の大仏にも城址があったようなんですけど、きっと反射板の工事で消えてしまったと思います。
でもね、これが古城なんですよね。

となりの美濃古城山も遺構は少ないけど、いいですよ。
お散歩ついでにどうでしょうか?